第一話 母の病気


平成5年7月24日、 母は鹿児島大学医学部付属病院で手術をけました。病名は悪性肺腫瘍、わかりやすく言うと 「肺ガン」です。
この日の朝八時半、母は「『ある方』 が守ってくれているのだから大丈夫」という言葉を残し、父と私そして二人の妹に見送られ手術室にはいっていきました。
母の手術は長引きました。朝7~8人の患者が手術室にはいり、手術室の前の小さなスペースに心配そうな家族が大勢いたのに、時間の経過とともに一人減り二人減りして午後三時をまわるころには私達家族だけになってしまいました。



『ある方』 が「ガンではない」と言ってくれたのだから心配することなどないんだと自分に言い聞かせつづけていた私も不安がだんだんひろがってきて落着きなく時計ばかり見ているといった状況でした。
四時ちかくになって手術室の戸が開き執刀医のM医師が憔悴しきった表情で出てきました。私達が駆け寄るとM医師は口をひらきました。「手術は今おわりました。肺ガンでした。腫瘍を切り取りましたがガン細胞が見つからず、その奥の部分を取り出しましたが見つかりませんでした。そこで更にその奥の部分を取り出したところガン細胞を見つけることが出来ました。リンパ球の切除などガンとして処置しました。なお発見が早かったので転移などは見られませんでした」。
そしてM医師は、左手に持つステンレス製のボールに入った肉片を示し「これが病変部分で す」としめくくったのでした。


その前の年の暮、母はレントゲンの集団検診で異常を指摘されました。主治医から指宿の国立病院、そして鹿児島大学付属病院とまわされる過程で母はもちろん私達家族の不安も大きくなっていきました。
『ある方』に母の異常のことをうかがいました。ガンの疑いがあるらしいということをストレートに話しました。『ある方』 の答えは「そんなに心配する必要はない。私はガンではないと思う」というものでした。
『ある方』 のこの姿勢は一貫していました。『ある方』の言葉や姿勢に私達家族、とりわけ母がどれだけ勇気づけられたかわかりません。


しかし大学病院はガンと判断していました。手術の前日、家族を集めて病状とか手術の説明がおこなわれました。説明してくれたのは執刀をつとめたM医師でした。最後に 「質問はありませんか」と言うので、私は「万が一にガンでな い可能性はどのくらいあるのですか」と質問したところ、返ってきた答えは「99.9%! ガンだと思っています」というものでした。
私が質問した理由は、先ず 『ある方』のアドバイスがありました。それと、肺の中の患部に直接カメラを埋め込んだファイバーを差し込む肺カメラ検査で 患部の細胞を削り取って培養検査をするという診断方法があるのですが、母の場合ガン細胞が検出されずに肺カメラ検査を2回もうけたという事実があったからでした。
その夜、『ある方』 に電話しました。 『ある方』は「手術がうまくいくよう祈っているわ」、そして「神様が手術する医師に私(神様)の手を貸そうとおっしゃってくれたわ」 と言ってくれました。


   ★事実 手術は大成功でした。六時間以上におよんだ大手術だっにもかわらず出血はほとんどなく、
    事前に準備していた輸血用の自分の血液も結局使わなかったそうです
    手術直後、医師が発した「ガンでした」という言葉は衝撃でした。そんなはずはないと思いながらも
    〔事実〕をつきつけられ心が乱れました。
    たとえガンだ としても手術は成功したのだし母が元気になれるならそれでよしとしなければ ・・・・と
    気持ちを鎮めました。


『ある方』への報告の電話もとても重たく感じました。『ある方』は「いい先生たちに恵まれ手術もうまくいったようだし、早く元気になれたらいいわね」 と言ってくださいました。
家族で母にはガンだったという〔事実〕は伏せておこうと決めました。


転機が訪れたのは八月の終わりでした。
仕事のうえでお世話になっている地元の焼酎メーカーの理事長から電話が入り ました。開口一番「お母さんはよかったね。おめでとう」と言うのです。事情 がわからなくて問いただすと、 理事長は驚いて「細胞培養検査でガン細胞が検出されなかったということをまだ知らないのか」と逆に聞かれました。
理事長の従兄が鹿児島大学医学部の教授で、今回の母の入院に際しても理事長を介しあれこれと気を遣っていただいていたのですが、その教授から今連絡をうけたということでした。


父・私そして妻と大騒ぎになりました。「ある方』にも早速この旨を報告しました。うれしい興奮が過ぎて冷静になったとき、何で一番肝心な母の担当医から この事実について知らせがないのかということになり、父が事の次第を確かめ に出かけました。
帰ってきた父の話は全く要領をえないものでした。父に同伴 した妹に聞いても担当医が何を言いたいのか判らないし、父と妹の話も食い違っているといった状況でした。ただ、細胞検査の結果が陰性だったということ は認めたそうです。


ここで明記しておきたいことは、母を担当してくれた大学病院の医師達は有能で人間的にも信頼できる人達だったということです。主任のS医師は私の高校の後輩で、誠実で真面目な人柄を知っているし、他の医師達も熱心に母を診てくれて最後はすっかり仲良くなり退院後4年たつ今でも縁が切れずに定期検診で大学病院に出かける母と親しく話をする関係にあります。
大学病院を退院するときにも正式な病名の説明はなく、手術後2年たった平成7年7月の定期検診のとき主任だったS医師に母は自分の病気は何だったのか尋ねたそうです。S医師は「放置しておくと確実にガンになる病変部分があり、それを切除した。病名は悪性肺腫瘍だ」というようなことを答えたそうです。
外科医をしている友人に母のことを尋ねたところ「ガン細胞が見つからなかった以上ガンではなかった」と言ってくれました。
結局、母は抗癌剤の投与も放射線照射もうけませんでした。


母の病気に際し ひんぱんに『ある方』に電話させていただきました。
あるとき、『ある方』は病気という症状について次のように話してくれました。
「世の中に生ずる様々な出来事には必ず原因がある。病気もそうだ。その人の生き方が好ましくないから神様が生き方を軌道修正させるために警鐘として現したものが病気なのだ。神様が好むような生き方が出来ないから病気になるのだから、生き方・考え方を軌道修正できさえすれば病気は治る」


実際、病気になる前の母の生き方は子供である私の目から見ても好ましいものではありませんでした。父と家業を営みながら主婦業もこなさなければならな かった母ですが、私達夫婦がUターンしてきて家業を継ぎ任せられるようにな ってやっと忙しい毎日から開放されました。そこで母は一気に翔んでしまっ たのです。積極的に人との交際をはじめ、地元婦人団体の活動に参加するようになり色々な役職を引き受けるようになりました。
そしてロータリークラブの女性版である地元Sの設立にかかわり会長にまでなりました。スケジュール表が会合の予定で埋まるようになり、泊りがけの外出も目立つようになっていました。その一方で家庭生活はないがしろになり、家には父が一人残されていました。
母はSの会長として華々しく活躍している真っ最中に病気で倒れたのです。


★『ある方』は又つぎのように話してくれました。
「会の長になるのは大変なことだ。個々の会員がもっている思いとか怨念といったものが全部会長の
ところにやってくる。会長はこれを受け止めなければならない。大変なエネルギーをつかわな ければなら
ない。これでは体の調子がよくないのも当たり前ですね。」



手術後四年たった今、母は多少なりとも生き方を変えることが出来たように思 います。
ひと落ち着きしてから私は「生き方を変えないかぎりまた病気になるし今度は助からない」という『ある方』 の言葉を母に伝えました。このことがどれほど影響したのかわかりません。又、命にかかわるような大手術を経験し健康の有難さが骨身にしみた(母の言葉)こともあってか母は一切の役職を 辞しました。
健康を取り戻してからは(主婦)になり、趣味に楽しみを求めながらよき妻 よきバアチャン(私の子供たちの世話をよくしてくれて感謝しています)として充実した生活を送っているようにみえます。客観的にみても現在の私の両親 ほど幸せな人達はあまりいないと思います。 二人とも健康で、仲がよく、ほどほどの経済力もあり 私達もあの位の年代になったら今の両親のようになりたいという私の言葉に妻も同意しています。


ただ母には時々癖がでます。何かに頑張りすぎたり、おせっかいをやきすぎたり。そのたびに背中の手術の跡が痛みます。最初の頃は「いつまで痛みで苦しまなければならないのだろう」と言っていた母も最近では「大病したことを思いださせてくれる。自重しなければ」と考えるようになってきたようです。
こうして母は健康を取り戻し、驚くぐらい元気で若々しくて今年古希をむかえた人には見えないくらいです。


しかし厳然たる事実として、大学病院に同じ頃入院していた同病の方々は全員 鬼籍にはいられました。又、退院後、検診で異常を指摘された方々がよく話を聞きに訪ねてこられましたが、そうした方々も鬼籍にはいられました。
母が先日、四年目の定期検診で大学病院に行き、執刀してくれたM医師の診断をうけたとき 「肥後さんだけになってしまった。肥後さんは特別だね」という話になったそうです。
私も母は特別だったと思います。そして、それは『ある方』の存在をぬきにしては語ることはできません。世間では、病気を治す力をもつと称する人が時々マスコミをにぎわしています。 真偽のほどはわかりません。しかし、まぎれもなく『ある方』は母のガンを消してくださいました。


『ある方』は、この後 父の心臓病・壊疽、義父の筋萎縮性側索硬化症という難病にかかわってくださいます。 そして今、父も義父も元気で過ごすことができています。


★父と義父のことは項を改めて書きます


私は『ある方』に、たまたま表面にあらわれた母の病気という一つの点ではなく その奥にある我が家全体といった、いわば面の部分に・・・大きな流れをいただいたものと今は考えています。運が良かったではすまされない出来事が少 なくありませんでした。


母は9月上旬に大学病院を退院、直ちに指宿のS病院に転院しました。S病院には治療チームの一員だったY医師が勤務していたからです。Y医師はとても親身に母を診てくれました。ところがしばらくして県北の病院に移ることになりS病院を辞めることになりました。
驚いたのは、この転勤話が出るや否や執刀医だったM医師が入れ替わるみたいに指宿の国立病院に来ることが突然に決まりました。家族で「『ある方』が交替で母の世話をさせることにしたのだ」 と語り合い愉快がりました。
こういう出来事は一つ二つにとどまりません。気がつくたびに 『ある方』が守ってくださっているのだと認識し、大きな安心を実感として心にとどめることが できました。
幸せな両親をみて、そして以前とはくらべものにならないくらい仲良くなった私達との親子関係を顧みて、母の病気はとても意義のあるものだったと今は思 います。