第二話 父の病気(1)


平成5年は我が家にとって大変な年でした。 前の年の暮れに集団検診で肺に異 常が見つかった母が〈肺ガン〉 と診断され 7月に手術をうけました。 そしてそ の前後から体調の悪かった父が母の退院を待ちかねたように10月には入院し てしまったのです。


[第一話 母の病気] で 『ある方』 はたんに病気を治してくださるだけではな い。たまたま表面にあらわれた〈病気〉という点ではなく、その根底にある我 が家全体という面の部分に大きな流れをくださるのではないだろうか?と私が 推測していることを書きました。
父の病気はこの私の推測を裏付けるような経 過をたどりました。


父はかなり前から前立腺が悪かったようです。近年ますます悪化してきて医者 嫌いだった父も、「入院して手術をうけなければならないかな」ともらすように なっていました。 ところが、 父がいよいよ入院するというその矢先に母の肺の 異常が見つかり、母の入院・手術という緊急事態のなかで父のことは吹き飛ん でしまいました。


父にはあと一つ気になることがありました。 心臓の異常です。
若い頃から気にはなっていたようですが前立腺の具合が悪くなるのと同時に異 常を自覚するようになっていました。 尿意があるのに尿の出が細く、排出しよ うときばることを繰り返して かなり心臓に負担をかけていたようです。 父から 時々心臓が踊るとか不整脈がでるのだ・・・というようなことを聞かされていましたが、平成4年の夏頃からは夜中に親の家に呼ばれ心臓が苦しいという父を病院へ連れて行くということもありました。


今考えても、父は調子が悪く苦しかっただろうと思います。 けれども母が大学病院に入院しているあいだ一日も欠かさず面会に行きつづけました。 母が指宿S病院に転院してきてやっと体力が回復しだした頃から、父は「もう我慢 できないから俺も入院して前立腺肥大症の手術をうける」 と言っていたそうです。


10月、母が転院先の指宿S病院を退院するのを待ちかねたように父は前立腺肥大症の治療で名高い鹿児島市のS病院に入院することになりました。
3日後に入院するという日の朝のことです。母がたまたま店の事務室に顔を出 したとき銀行の外務担当のS氏がいました。久しぶりの顔合わせでおしゃべり がはじまり、父の入院のことまで話題が及びました。
するとS氏が「私も前立腺が悪く手術を考えている。それで色々な人に話しを聞くようにしているが鹿児島市のT病院がよいらしい。そこには県下に数台しかないレーザーを応用し た治療機がある。保険の適用はないが手術はとても楽で麻酔も必要ないらしい」という話をしました。
父の心臓を心配していた母は〈麻酔をつかわない〉という一言に、父に強くT病院への入院をすすめました。それでS病院には断りをいれT病院に入院したのです。


病院に事情を話し、個室に父の寝台と母の補助寝台を並べ・・・これでは夫婦そろって入院したのと一緒だねと、見舞い客をビックリさせた父の入院でした。手術当日も母のときのような悲壮感はなく、集まった私と二人の妹との久しぶ りの会話がはずみました。手術は成功でした。 麻酔は使わないですみました。



波乱は手術後10日目にやってきました。
手術後の回復も順調でそろそろ退院となった頃、母は父から昨晩は心臓が苦し くて寝られなかったと打ち明けられました。母は思いきって院長に父の心臓の ことを相談したそうです。院長は、症状もだいぶ良くなったし心配なら私の知 っている心臓専門の病院を紹介しましょうと鹿児島市のS病院宛ての紹介状を 書いてくれました。


★両親は前立腺の治療が落ち着いたら、この循環器専門のS病院を訪ねるつもりにしていました
両親は軽い気持ちでS病院に診察をうけに行きました。院長が診てくれました が結果は緊急入院でした。父は心房細動という心臓の壁面がけいれんする病気 で、今まさにその発作中というのです。両親は驚きました。
こうして父はS病院に入院することになりました。 あとで母は院長室に呼ばれ 説明をうけました。
院長は開口一番「ご主人は運のいい人だ」 と話しはじめました。「心房細動自体はたいした病気ではない。しかし発作を繰り返していくうちに慢性化する。 慢性化したら厄介で心不全といった重い心臓病の原因になる。ご主人の場合はまだ慢性化していないが危なかった」。さらに続けて「治療法は発作中にそのけいれんを止めることです。まず薬を使いますが、それで止められなければ電気ショックとか色々な方法があるから心配しないでください。けいれんさえ止められたら大丈夫です。よくご主人を連れてきましたね」。


S病院に入院することになったという母からの電話に私達は驚きました。しか し事情を聞いて「これで良かった」 と思いました。
ところで父の発作はなかなか止まりませんでした。何種類かの薬を試みました が効かずに とうとう“この薬”で止まらなければ電気ショック療法に切り替えようということになりました。それはとても強い薬で服用したとたん気持ち が悪くなり、父は思わず『ある方』の名を叫んだそうです。その瞬間! 発作は おさまりました。計測器で監視していた医師達がやってきて「よかった! よか った!」と声をかけてくれたそうです。
こうして父は前立腺肥大症の治療と心臓病の治療を同時におこなうことが出来 ました。


しかし父の病気はこれで終わったわけではありません。
最初の頃、調子のよかった尿の排出や残尿感ですが時間がたつにつれて再び悪 くなってしまいました。どうにも我慢ならないということで、前回の入院から まる2年たった平成7年の11月父は再び前立腺肥大症の手術をうけるために入院しました。
今回は当初入院を予定していた泌尿器科専門のS病院です。この病院は硬くなって肥大化した前立腺の組織を削ぎ落とすという手術方式で麻酔を使用します。 父の心臓の心配がないぶん、母と私は手術室の外で安心して待つことができました。
この入院で父の前立腺肥大症は治りました。残尿感もなく排出も快調だそうで す。


父はぼやきます 「保険もきかないレーザー治療をして損した」。しかし私達家 族の見方は違います。
父の前立腺肥大症はかなり悪化していましたが、心臓が悪く麻酔を使用するよ うな手術には耐えられませんでした。そこで『ある方』 が緊急避難的な手術を うけることができるような流れをつくってくださったのです。
しかも、最初に父が治さなければならなかったのは心臓病でした。これも幸運としかいいようがない流れで治療できたのでした。こうして心臓が治り体力も回復した2年後に本当の前立腺肥大症の治療をうけることができたのだろうと考えるのです。


『ある方』には父の病気のときにも電話させていただきました。節目節目に適切なアドバイスをいただき どれほど心強かったかわかりません。私達家族にとって本当に大変だった平成5年をなんとか乗り切ることが出来たのは『ある方」の存在があったからこそだと思っています。
『ある方』の力は単に病気を治すということにとどまりません。とてつもない、 何か大きな流れをつくってくれるのです。