この話は過去の出来事ではありません。今(平成9年)現在進行中です。
当初 色々な出来事が錯綜して判りにくかったのですが、最近やっと平成5年 に我が家に起きたような大きな流れが妻の実家にも起きているのではないだろうかと考えるようになってきているところです。
妻の両親は仕事の関係で義父の出身地である北海道で20年以上を過ごし、平成6年に子供たちが住む東京に引きあげてきました。横浜に居をかまえ、残された人生を子供の近くで暮らしていこうと新生活のスタートをきったばかりの平成7年の秋、義父は右肩に肩凝りを覚えるようになりました。
義父 はそれまで検診以外医者にかかったことがないというくらい健康に自信があり、最初のうちは気にもとめなかったようです。
ところが肩凝りはだんだんひどくなってきて、11月頃には右腕が後頭部のあた りまでしか上がらなくなり右手先には痺れを感じるようになってしまいました。近所の医院に行き診てもらいましたが良くなりません。12月に入ると左腕や足にも異常を感じるようになってきました。感覚が鈍くなり力もはいらないため歩きづらくなってきたのです。
どうもおかしいと 別な病院でCTスキャン検査をうけましたが異常は見つかりません。心配した家族のすすめで地域の基幹病院であるYR病院に行き首のレントゲン検査をうけましたが異常はなくMRI検査をうけてみるように言われました。 更に別な人の紹介でSK病院にも行き、ここでも首のレントゲン検査をうけましたが異常は見つかりませんでした。しかし義父の自覚症状は悪くなる一方でした。
年が明け平成8年になりました。松の内も過ぎた頃、久しぶりに横浜に電話した妻は義母からはじめて義父のことを知らされました。「右手が痺れて力がはいらないからご飯も左手にフォークをもって食べているのよ。右手が使えないので着替えも大変よ」。
私達は、重大には受け止めませんでした。肩凝りがヒドい状態くらいに思い、この年の義父からの年賀状の字がヘタクソだったことに得心したのでした。
状況は予想外の方向へ展開しました。
1月末 義母から電話があり、義母が胃癌であることがわかり手術するようになった、というのです。私達は驚きました。
義母の胃にはポリープができていて定期的に検診を受けていましたが、今回の検診で異常を指摘され精密検査をしたところ胃癌であることがわかったそうで す。そこでYR病院に入院の手続きをしたけれど空きがないため3月に入院し手術をうける予定にしているということでした。
妻は『ある方』に電話して義父母のことを話しました。『ある方』はおっしゃ いました。「お母さんのことは何も心配をすることはない。しかし、お父さんはとても気になる」。そして義父のことを詳しく尋ねられたのです。それまで私達は義父の症状をヒドイ肩凝りくらいに軽く考えていました。
ところで『ある方』は、東京で人に会われるため川崎市に仮住まいされていたのですが 神の啓示により東京都内に住居を持とうと決め捜しはじめていました。そのため時々上京しておられるということを、この時の電話で知ることができました。
そこで妻は是が非でも義父母を『ある方』に会わせたいと考え、会ってもらうことをお願いし承諾をえました。
妻はさっそく横浜の義父母宅に電話して「私も上京するから一緒に行こう」と、『ある方』にお目にかかることをすすめました。義父母は、私たちから『ある方』のことを聞いていたし、又妻の熱意も通じたようで意外にあっさりと承諾しました。
こうして、義父母は3月はじめに『ある方』とお目にかかることになりました。
この後、状況はめまぐるしく展開していきます。
義母の方は突然YR病院から連絡があり、ベッドに空きができたということで2月23日入院、27日には手術ということが急遽決まりました。YR病院では入院が早まることはめったにないらしく、このことを伝えてくれた義母の電話に私たちは「母のときと同じだ」と語りあいました。
●[第一話 母の入院]で、母は最終検査の後 待つ時間もないくらいスムーズに大学病院に入院できました。
大学病院ではベッドが空くのを待つのが普通で、これが異例のことだったということを知ったのは
後になってからです
義父の方は困った状態がつづいていました。
MRI検査(頸椎部および脳)でも結局異常は見つかりませんでした。
ある医師は頸椎には異常がないという診断をくだしたのに、別の医師は頸椎の老化によるものだろう・・・という具合で、検査検査で原因が何なのかまだわかっていなかったのです。

2月はじめSK病院でTH大学のK教授(神経内科)の診察をうける機会をえました。いままでの経緯を説明し血液検査をおこないましたが異常はありません。K教授はTH大学付属病院で筋電計検査をうけてみるようすすめました。
2月19日、義父は筋電計検査をうけました。そして26日K教授から検査結果の説明がありました。「筋萎縮症らしい」ということでした。
家族に改めて詳しく説明したいということで 3月4日、二人の義兄がK教授を訪ね説明をうけました
●長兄から妻に手渡されたメモによると、次のような内容です
筋肉に委縮がみられる。脊髄に異常がある。脊髄運動細胞の変性疾患である。
私は99%の確率で「筋萎縮性側索硬化症」と診断する。
筋肉(肩の筋肉)の生検検査をすれば確定できるが、確定しても治療法がないのだから意味がない。
この病気に対して治療法はない。
試薬はあるが効果は疑問。副作用はないが二週間ごとの通院が必要で大変。
今後、筋肉の働きが弱くなり 進行度合いは人によって異なるが発病から1~3・4(最長16年のケースもある)で
亡くなる。
そして患者(義父)の場合、昨年(平成7年)夏の発病と推定される。
寝たきりとなり食べ物も飲み込めなくなるのでチューブを介した栄養摂取が必要となる。最後は呼吸困難になる。
この診断を腑に落ちないと思うのであれば他の病院に行っても構わない。資料 はお渡しする。
腑に落ちなかった義父は改めてYR病院で診察をうけました。SK病院の検査結果、 TH大学医学部付属病院での筋電計検査結果や K教授のコメントも取り寄せて見てもらいました。そのうえで改めて筋電計検査をおこない結局<筋萎縮性側索硬化症>という同じ診断を得たのです。
3月はじめ、義父は 『ある方』 を生田に訪ねました。上京した妻も同行しまし た。
妻の話では、『ある方」はその時入院中だった義母について「大丈夫。何も心 配する必要はありません」とおっしゃっただけだそうです。義父には「肩では なくて首のほうに原因があるような気がします。筋肉がコチコチに凝りかたま っていますね」とおっしゃったそうです。
●義母の手術は大成功で出血もほとんどなかったそうです。手術後の回復も極めて順調で、
最初3週間は入院しなければならないと言われていたのに2週間で退院できました。
そしてガン細胞は検出されませんでした。
義父が次に『ある方』を訪ねたのは6月のはじめです。妻と退院していた義母が同行しました。義母には「何も心配する必要はありません」とおっしゃって くださいました。そして義父の右腕に触れてくださいました。義父の病状は進んでいて、この頃右耳をさわれるぐらいしか右腕は上がらなくなっていました。
この後『ある方』の所要が重なり 結局10月までお目にかかることはできませんでした。この間義父の病状は小康状態を保っていたように思います。
義父の不満は、病院(近くにあるYR病院)へ行っても話を聞くだけで注射をうつとか薬を出すといった治療行為を何もしてくれないということでした。義母からこの話を聞き、私達は安心したことを憶えています。『ある方』にお願いしているのに義父の体を変にいじくられたら取り返しがつかなくなると思ったからです。
妻は『ある方』に「義父がこれ以上悪くならないように、介護をうけながらも自分のことは 自分で出来る状態のまま寿命をまっとうできますよう」お願いしていました。
ところで義母の回復はとても順調でした。妻が『ある方』に電話していたとき 次のようなことを話してくださったそうです。
「お母さんが病気になったのは軌道修正を図るためではない。神はお父さんと お母さんが今から二人で添って生きていかれるようにしたのだ。相手が病気に なっても自分が元気だと相手の痛みはなかなか判らない。健康を損なった者同士、互いにいたわりあって仲良く暮らせたら良い」。
10月になってから以降 義父母は毎月『ある方』を新しいお住まいに訪ねるようになりました。
しかし、その頃の義父母の率直な気持ちは訪ねるのがおっくうになっていたのではないかと想像します。病状は相変わらずで良くなっていない、『ある方』ともただ話をするだけ・・だが長女夫婦があんなに一生懸命だし・・・ と、気持ちが揺れ動いていたのではないかと思うのです。11月の訪問で義父母は約束の時間から2時間以上遅れてしまいました。しかし、義父母はその後も『ある方』を訪ねました。
平成9年5月のある日、夕方でした。倉庫で片づけをしていた私のところに妻が嬉しそうにやってきました。
義母から電話があったということでした。
内容は、今日『ある方』 を訪ねた。『ある方』は義父の腕や肩に30分くらい 触れてくださった。最初のころ肩までも上がらなかった右腕が何回か試していくうちにだんだん上がるようになって、最後には真っ直 ぐ上げられるようになった。
そして『ある方』が触れてくださっているとき「筋肉がピクピクうごいていますよ」とおっしゃってくださり、義父もそれを感じる ことができた。
私達は思わず小さな声で万歳をしました。
数日後、妻が横浜に電話して様子を聞いたところ義父の右腕はもとに戻ってし まったとがっかりした様子だったそうです。しかし、この頃から義父の病状はほんの少しずつですが良くなってきたように思います。
7月、義父は長兄宅に招かれ一緒に食事をしました。その時義父は箸で食べてみようと右手で箸を使ったところ上手に食べることが出来ました。それ以来、義父は右手に箸(割り箸)をもって食事をしています。
9月下旬、私達夫婦は 『ある方』にお目にかかるため上京しました。
その際、義父母宅に泊めてもらいました。私が義父母と会うのは14年ぶりでした。しかし、そんな時間的へだたりはいつのまにか無くなっていました。
義母はとても元気でしたが相応の年輪を感じました。一方、義父は14年前と ほとんど変わりませんでした。とても元気で若々しく外観からはとても難病で苦しんでいる人には見えませんでした。ただ、歩く姿だけが両手を大きく振って・・・といった行進のときのような歩き方で不自然に見えました。
滞在中、義父母と話をすることができました。話題は互いの近況のほか自然に病気とか『ある方』のことになりました。私は実父母の病気とそれに『ある方』がどのようにかかわってくださったかということを話しました 〔第一話~第三話〕。この話はいままでも妻から聞いてはいたと思いますが印象を新たにしたように感じました。
1. 『ある方』が大変なパワーをもっていること
2. お目にかかり、さりげない会話をしているようにみえても実は膨大
なエネルギーをいただいていること
3. ただ病気を治してもらうということだけではなく、家族全体に大き
な流れをくださること•••••••
私達が帰京した数日後、義父母は 『ある方』 を訪ねました。このとき義父は「肩に触れていただきたい」と積極的にお願いしたそうです。
翌10月下旬、『ある方』に電話したとき次のようなことをうかがいました。
「今月ご両親が来られたとき、お父さんはいつも座る椅子から移動して私の近 くの椅子に座り直したのよ。そして自分からシャンプーも両手で出来るように なりましたと両手を頭の上まで持ち上げてその様子を見せてくれたのよ。又、熱い物にさわったら痛いと感じるようになったとうかがったわ。右腕に触れたけど筋肉が前よりももっとピクピク動いて・・・、確かに筋肉がついてきているわ」。
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最後に[第三話 父の病気(2)}でふれたような疑問を呈しないわけにはいかないように考えます。 妻の兄弟姉妹のことです。
義父が現代の医学でも治療できない難病に冒されていると知ったとき私達は大変なショックでした。しかも死にいたる過程で確実に寝たきりとなり、それこそ24時間の介護が必要になると聞いて二重のショックをうけました。
そこで 私達夫婦が語り合ったことは「東京の兄弟達は家族を含めてこれから大変になる。遠く離れているけど娘としてどのような対応をしていけばいいのだろうか」ということで私達は私達なりに覚悟をしたのです。ただ私達は『ある方』の存在を知っていました。そして『ある方』にすがったのです。
妻の兄弟姉妹は余り好意的ではありませんでした。
長兄は「そういう人を信じる信じないは自由で、妹が信じるのであればそれはそれで構わない。しかし自分は認めない」と言って『ある方』に会うことを拒否しました。そして「年寄りを余りふりまわさないでほしい」と釘をさされました。
私は、それはそれで仕方がなかったと思います。何と言っても 『ある方』を知らないのですから。
しかし今でもそういう関係が続いているように思えます。義父の病状は目に見えて改善され・・・ 良くなっていくのではないだろうかという兆候さえ見せ始めました 義父の病状があのまま進行していったらどうなったことでしょうか。みんな、そんなことは考えないのでしょうか。
私は今回の上京で義父母が子供たちにとても気をつかっているのを見て、何かやりきれなさを感じて帰ってきました。
厳然たる事実として義父の現在の症状(良くなってきている)があります。事実を事実として見ることができるならば、『ある方』を認めようと認めまいとに関係なく子供としてお 礼の言葉ぐらいはほしいと思いますが如何なものでしょうか。
ただ、この出来事は現在進行している出来事です。『ある方』の都内での住宅購入に時期をあわせるかのように、義父の発病、義母の胃癌手術とたてつづけに起きたことは偶然とは思えません。何か大きな意味があるのかも知れません。時間がたって、あの時ああだったから今こうなったと思えるような時がくるような気がしてなりません。
●後日、長兄は義父母に付き添って『ある方』を訪ねたそうです
〈追補〉義父の病状はおさまりました。おさまってから『ある方』のところを訪ねなくなったように聞いています
上京するたびに義父と会っていましたが、日常の行動では普通の人と変わりませんでした
ただ、靴下やズボンを履くときはスムーズに履けない感じでした(義父一人で履けていました)